過去とお金

#19 短期的な目標と退職の決意

  • 親のアドバイスはいったん受け入れよう!
  • アルバイトのが稼げるなら業務委託より素直にアルバイトしよう!

短期・長期双方の目標を

この会社はネガティブ禁止であることは何度か書いてきていましたが「高い目標を掲げよう」といったスローガンのようなものがあり、各々のメンバーも各自「自分の夢」を持っていました。

とある日の朝のミーティングで、そういった長期的な目標とは別に「まず、どこまで達成したいか」という目標を持とうという話題になりました。

確か「何件契約をいただく」という目標とは別に「その目標を達成したあと何をしたいか」というような話だったと思います。

なので「好きなアーティストのアルバムが出るのでそれを買いたい」と答えました。

普段CDはあまり買わず、聞くときもCDをレンタルして聞いていた(この仕事をしている間はそれもできませんでしたが)のですが、そのアーティストがレンタルに出回っていなかったので素直に「買いたい」と思っていました。

おとおしゃん
おとおしゃん
もちろんレンタルで出ていたとしても応援しているなら買うのが正道だとはわかっているけど当時はお金が、ね……

3,000円くらいで買えるものではありますが、当時は非常に贅沢品だったので「短期的な目標」としては十分だと思っていました。

そして社長が言ったかその場の全員で決めたかは覚えていないですが「何か目に付くところに視覚化しよう」という話になりました。

なおも続く「イジリ」

細かい話ではありますが、その時のブースでは支給された紙コップで周りのお客様に見えないように水分補給することは許可されていました。

ブースの設営が完了した後、事務所で社長が言っていた目標を視覚化することを思いだし、その紙コップに記載しておくことにしました。

そしてこの日同じブースで営業するのは、先日から「おにぎり」の件でこちらをイジリ倒してきていたメンバーのうちの一人。

当然というか、当たりまえのようにその「短期的な目標」についてもなぜかからかってきました。

全部は覚えていませんが「アーティスト名をわざと間違える」「話を聞いてきておいて“興味ないですけどね”と返答する」といったようなものもあったと思います。

おとおしゃん
おとおしゃん
本人が「嫌がらせをしてやろう」というような気持ちはきっとなかったんだろうけど、それだけにタチが悪かった。

今思うと本当にしょうもない話ですが、当時はそういったくだらないことも上手いこと受け流したりする気持ちの余裕もなく、真に受けていてしまっていたのでものすごく頭に来てしまっていました。

だからといって殴りたおしたり暴力に訴えることもできなかったので、もうそれをからかわれないようにと、書いた箇所を真っ黒に塗りつぶしたうえで紙コップを潰してゴミ箱へ捨てました。

おとおしゃん
おとおしゃん
本当にどうかしてたんだと思う。その時7月で野外のブースだったから暑かったし。

ただ、薄々意味はないことはわかっていましたが、「イジリ」はその日中止むことはありませんでした。

巻き返しのできない状況が続く

夏が盛ってくる7月のはじめ、暑くても雨が降っていてもその気候の事でさえ「つらい」と思われてはいけない空気感の中、野外でも屋内でも同じような作業を続けていました。

この仕事をやっていた頃は本当に周りが見えておらず、自分の立場もよくわかっていませんでした。

いえ、正確には見えていましたし「ふつうにバイトしたほうが稼げる」というのも自覚してはいましたが「いつか状況は良くなる」とどこか楽観的に考えていたのだと思います。

しかし、この会社で業務委託契約として働き始めて半年足らず。

依然として、月にもらえる手取りは平均して6万円程度。

この会社では一定の売り上げを上げるとリーダーに、そのリーダーが同じリーダーとなるメンバーを何人か排出するとマネージャーに、といったようにランクが上がっていくシステムでした。

しかし、私が働いている限り、一切そのランクが上がった人はおらず。

というよりも人が残るだけでもレアなのに、それがコンスタントに成果を上げられる土俵でもありません。

恐らくこのグループ会社ではそれも「己の頑張りが足りないから」で処理されるのだと思いますが、状況が全く変わらず収入も増えることのない実態にはだいぶ辟易していました。

また、この仕事についても割と正直に両親に伝えていました。

そのことも手伝い、ある日親から連絡があり「いい加減に仕事を変えたらどうか」とハッキリ言われました。

おとおしゃん
おとおしゃん
まぁ正直、自分の子供がこういう仕事してたらすぐ止めると思う。

それまでもかなり心配はされていましたが、そのたびに「1年以内になんとかする」と伝えていました。

がしかし、自分もだいぶ参っていたこともあり、この時は素直に感謝して仕事を変えることを決意しました。