ちゅっすちゅっす、ミーゴラン(@thrs_f)です^^
今日はクリスマスイブですね。
突然ですが皆様、恋人やパートナーへ普段から、
~花、贈ってますか?~
私は、人に誇れるほどは贈ってません。
時には、花を贈ろう。
そう決めたのは、今の奥さんと付き合い始めて初めてのクリスマスでした。
と言っても彼女と付き合い始めたのはクリスマスの1週間前とかだった気がするので、時にはとか言ってますけど、まぁそんなに「時には」でもないんですけど(何が?)。
ただ、それから毎年必ずクリスマスには花を贈ることにしています。
それは、ただ奥さんが喜んでくれるだけではありません。
贈る側にも、意外な効果があるのです。
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といって引っ張るほどでもないんですけど、結構いいことあるので花を贈ろうよ、って話です。
自己肯定感が高まる
昨今「らしさ」というのを主張するのははばかられるシーンも増えてきたように思いますが、やはり多くの男という生き物は、普段花に触れる機会もあまりありません。
また、一人で花屋に行ったとしても、何をどうすればよいかわからないのが通常です。
さらに、わからないことに足を突っ込むというのは、基本的に面倒臭がりな人ほど億劫になるものです。
ただ、その障壁を乗り越え、ただパートナーを喜ばせる一心で花を買う。
この行為そのものに、自己を肯定する効力があります。
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言いすぎました。あると思います。
花を渡すシーンを想像して、平和な気持ちになる
花は時に「散ること」を連想してか、悲しいシーンで用いられることも多いです。
よくありません?別れの歌のPVで花が散ったり、なぜか花びらが水に浮かんでいる映像。ありませんかね?(パッとは思いつかなかったので知っていたら教えてほしいです)
しかし当然ながら、誰かにプレゼントする場面では、そんなことは通常考えなくとも良いです。
普段、手にすることのない「花束」を手に、どんなタイミングで渡そうか。その時相手はどんな表情をするんだろう。
そんなことを考えながらパートナーのもとへ向かう、もしくは帰りを待つ。
その間の時間こそ、幸福な時間になり得ます。
なお、私は速攻で子どもに見つかりぶんどられたうえそのまま奥さんに渡されたので、手柄は持っていかれました。
ぶんどられた「手柄」
花を飾ることが、非日常になる
もちろん人によるかと思いますが、普段飾ることのない家にとって花という有機物は思ったよりも存在をしっかり主張していて、そこにあることが特別な精神的ゆとりを生みます。
あと、思っている日数の3倍くらい、花って長持ちします。
まとめ:特別な日には花を贈ろう
花は結局のところ消耗品なので、特に合理性を重視する人にとって、選択肢に入ることが少ないかもしれません。
(私も同じ金額くらいで「何か欲しいものある?」って言われたらたぶん、「SDカードかな」とか答えると思うので。)
ただやっぱり、こういった不合理を敢えて取り入れるというのも、豊かな人生を送るうえで大切なことなのではないでしょうか。
とかなんとかごちゃごちゃ言ってますけども、たまには花を贈ろうってだけ!それだけです!
二行でブログが終わっちゃうのですが、大切に思う人にこそ花を贈りましょう!
終わりです!メリークリスマス!