- 童謡についての理解を深めたい
- 自分の子供に話せるネタを増やしたい
- とにかく何も考えずに笑いたい、そう思う日々だった
悪いことは言いません、図書館にでも行って見聞を広めてください(本末転倒)
こんにちは、ミーゴランです。
子育てと歌というものは、切っても切れない関係にありますよね。
特に某Eテレ様の番組にはやはり、子どもたるもの必ず一度は通る道だと思います。
(と言うよりも、お父さんお母さんが通す。この道を通りなさいと。これからの人生、間違うことも多いでしょう、しかしこの「道」だけは間違っていないと。)
その中でも、やはり童謡というものは昔から広く子供達に愛され、私たちが子供の頃から、「気づいたらすでにそこにあった」ものだと思います。スタンドみたいですね。
今回はその数ある童謡の中でも、「1番は必ず歌える」でお馴染み、「どんぐりころころ」について考えていきたいと思います。
「どんぐりころころ」とは?
どんぐりころころとは、正直解説する必要もほっとんどないと思いますが、以下Wikipediaから情報取ってきました。
「どんぐりころころ」は、大正時代に作られた唱歌、広義の童謡。作詞青木存義(1879年 – 1935年)、作曲梁田貞(1885年 – 1959年)。七五調四行詩のいわゆる今様の形式の作品であり、2番まである歌詞は起承転結のはっきりとした物語性のある構成となっている。青木の没後、終戦直後の1947年(昭和22年)に小学校用の教科書(音楽)で使用されたことを契機に広く歌われるようになり、その普及ぶりから金田一春彦に「日本の三大童謡の一つ」とも評されている。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。作詞、作曲ともに著作権の保護期間が満了しており、パブリックドメインとなっている。
もはや説明不要かなとも思いましたが、こういった「童謡の出所」というものはあまり触れる機会も多くないため、ある意味知らない情報のほうが多かったりしますよね。
なにより注目したいのは「パブリックドメイン」だということ。
詳しいことは専門家に聞いてもらった方がよいですが、パブリックドメインというのはつまり、基本的には著作権の侵害であったりなどの「お咎めがない」ということらしいです。
「どんぐりころころ」には3番の歌詞がない?
さて、本題ですが「どんぐりころころ」は公式では2番の歌詞までしかありません。
- どんぐりころころ ドンブリコ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう - どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
かなりさびしい終わり方ですよね。
天空の城ラピュタでいうと、「バルス」言わずに終わってます。飛行石も海に捨ててます。
「耳をすませば」でいうと、朝方の丘で聖司くんが「雫」とつぶやいた時点でエンドロールです。告白まで行けてません。
こうなったらまとまりの良い「3番」を作ろうではありませんか。
銀魂の作者である空知英秋さんも「物語は終わる。見ている人は置き去りにされる。その続きを見たいなら作る側に回るしかない」というようなことを言っていました。
それならば作りましょう、今、ここで。
「どんぐりの坊ちゃん」が、そして私たちが安心して暮らせる歌詞を。
そんな、
「どんぐりころころ」の3番の歌詞を作っていく
そうと決まれば3番の歌詞を作っていきたいと思います。
とは言っても自分だけで作ったとしても独りよがりなものになってしまいかねません。
「モノ」というものは絵画でも楽曲でも、なんであれ「第三者」に評価してもらってこそ意味があります。
かと言って私は友達があまり多くないので、こういった事に手を貸してくれる人も……
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―あれ、あなたは……?
―どんぐり国王子「ダン・ガレッツ」さん!
―まさかこんなところに来ていただけるとは。
―「どんぐり」と言えば「カメラを止めるな!」で一躍人気を博した竹原芳子さんが突然芸名を「どんぐり」に変えて一時話題となりましたが、それについてはどう思われますか?
―さぁ、そんなダン・ガレッツさんを招いての歌詞作成、早速張り切って行きましょう!
「どんぐりころころ」3番-① 王道パターン
まずはやはり王道というか、起承転結でいうと「結」の部分、大円団となる流れで考えてみます。
※リズム上、全ての歌詞を並べて掲載しています。
- どんぐりころころ ドンブリコ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう - どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた - どんぐりころころ 泣いている
どじょうはともだち 呼んできた
かえるとめじろが やってきて
一緒にぼっちゃん 帰しましょ
基本的にあまり絡まないクラスメイトが、校庭に犬が迷い込んで来たときや、文化祭の準備中など、「ちょっとした非日常感」をきっかけに仲良くなることは多いと思います。
その時の気持ちをずっと忘れないでいてほしい。
―最後のほうはちょっと何言ってるかよくわかりませんが、暖かみのある歌詞に仕上がっている模様。ダン王子はこれをどう見るのでしょうか。
魚類である「どじょう」、水陸両用の両生類「かえる」、そして鳥類の「めじろ」。なかなか隙のない布陣です。これならば「どんぐり」をお山に帰してあげることも不可能ではないでしょう。
ただ、惜しまれるのは今、彼らが「集っただけ」の状態であることです。一般社会でいうと、「開発」「工場」、それから販売を行う「営業」が1つのチームを組んだ、までのストーリーです。実際にエンドユーザーの手までは届いていません。
何が言いたいかというと、この話では結局のところ「まだお山に帰っていない」のです。それどころかどんぐりはこの3番の歌詞では登場しません。「どんぐりころころ」の童話であることを示すための旗でしかないのです。今一度考えなおして頂きたい、この童話の主人公は誰なのでしょうか?
すみません、かなり辛辣な意見になってしまいましたが、それもこの歌詞はかなり惜しかったからこそです。今後により期待します。
―なかなかに好印象な様子。しかし粗を見抜かれてしまったのか、最後はピシャリと改善点を指摘されました。これはなかなか厳しい戦いになると予想されます。
「どんぐりころころ」3番-② 現代っ子パターン
続いては、新しい童謡の形としてのご提案となります。
大人になってもノスタルジックな気分を味わえる童謡とはいえ、やはり時代は流れるものです。
こと、自然界の「どんぐり」「どじょう」と言えども、現代に合わせて形を変えていく必要もあるかと思います。
※リズム上、全ての歌詞を並べて掲載しています。
- どんぐりころころ ドンブリコ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう - どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた - どんぐりころころ 「どうしよう」
ひとまず開くよ ツイッター
一旦フィードを 読み漁り
そろそろ出そうか 「迷子です」
世の中はインターネット。また、お山といえどもどこでも良いとは限りません。日本とブラジルでは生活も人柄も違うように「お山」にも「坊ちゃん」が生活していた故郷があるはずです。
ただ「お山に帰す」のではなく、「元いた場所へ帰す」ことが重要なのです。帰る場所はどこでもいいわけではない。
そのためにはSNSでの拡散を図り、家族、知人へ呼びかけることが肝要だと考えます。
―歌詞にツイッターという固有名詞を登場させる破天荒さとは裏腹に、その考え方は以外にも堅実的。「帰る場所はどこでもいいわけではない」これは死地に向かう兵士や主人公にヒロインのことを思い浮かべながら言ってほしいセリフですね(ただし一般兵卒が言うとフラグに掠る可能性がある)。文明の力を使った捜査網を張るという手法、ダン王子はどう評価するのでしょうか。
フェイスブックでは拡散がしにくく、インスタグラム等のSNSだと真剣さが伝わりづらい。その点でもツイッターは著名人や各業界の目にも留まりやすく拡散力にすぐれ、少しの手掛かりがあればあっという間に「元いた場所」へ帰ることができるでしょう。
しかし、それは最速だとしても最善でしょうか。文明に頼って「速さ」だけを求めるのは生き物として正しいのでしょうか。
敢えて私は提言したい、本当の「豊かさ」について。
生き物は「生きていく」ことだけならそう難しいことはありません。「どんぐり」だって同じです。
栄養バランスが完璧で時間もかからないからと言って、サプリメントだけで生きていくことが真に豊かだとは思いません。
あと、一回ツイッターのフィード流し読みしてるよね?いいよ、流し読みしていいから先に呼びかけよ?
―時代背景を現代社会に寄せる着眼点は評価されたものの、それ以外の一貫性に疑問が残る結果となったようです。あと、もしかしたら面倒なのかもしれないけど、呼びかけは先にしとこう。「やなことは午前中にやりましょう」って山崎まさよしさんも歌ってたし。
「どんぐりころころ」3番-③ ???
考えればいくつも上がりそうですが、ここいらでかなり文字数も多くなってきていますし、最後にしたいと思います。
※リズム上、全ての歌詞を並べて掲載しています。
- どんぐりころころ ドンブリコ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう - どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた - その時だった……
地面の精霊たちが激怒したかのような轟音が響いた。地面が揺れている。泥鰌は池の中にいてもそれを肌で感じた。
池にも波が立ち、それによって定まらない視界の中、泥鰌はどんぐりの坊ちゃんを必至に離さないようにすることで精いっぱいだった。まるで突然、嵐に巻き込まれたようだった。
頭が割れないばかりに大きく鳴り響く音、そして渦潮のようにうねる波に、泥鰌は鰭がちぎれ飛ぶほどの痛みに耐えながらもどんぐりの坊ちゃんを抱えて離さなかった。
次の瞬間、池の向こうから大きなものがやってくるのが見えた。
一瞬、鯨ほどの大きな生き物がこちらに向かってくるようにも見えたが、そうではなかった。
池が割れているのだ。地面が裂けるように、池の水は泥鰌とどんぐりの坊ちゃんを通り過ぎた後、一切の音は聞こえなくなった。
色も、風も、温度さえもなくなったように感じた。呆然とする2人に向かって、池が割れ始めた方向からゆっくりと近づいてくる人影が見えた。
泥鰌は、その人影を一度見てしまったが最後、目を離すことができなくなった。
光。まぶしくもやわらかい光。泥鰌は涙が止まらなくなった。あまりの衝撃からか、息もできない。「神よ……」泥鰌は満身創痍になった体をその地面に伏せ、薄れゆく意識の中でそう呟いた。――幸福だった。何も後悔はなかった。生きた。私が生を賜ったのも、このどんぐりの坊ちゃんを守りぬく。そのために生まれてきたのだ。私は――目を閉じ、動かなくなった泥鰌。彼の胸元にはどんぐりの坊ちゃんが抱かれている。光に包まれた人物はそれをそっと拾い上げると、その光と共に天に掲げた。
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「どんぐりころころ」3番の歌詞について まとめ
日本にとどまらず、童謡というものは世界各国にあります。
その中には、意外にも悲しい結末を迎えるものであったり、その先の想像を掻き立てるものだったりと、様々あります。
今の世界、映像化できないものはきっとないでしょう。しかし、子供とのコミニュケーションにおいても、こういった部分で想像力を鍛えるのもよいのではないでしょうか。
私はこのあと、子どもたちと一緒に仮面ライダーを観ます。なぜならプライム会員だったら仮面ライダーはめちゃめちゃ見られるので。