結婚式3日前の「不穏」
ここでお伝えしておきたいのですが、私の実家は熊本にあります。
私は家族共々県外に出ていますが、今でもちょくちょく家族を連れて帰省することもあります。
この結婚式をするときも、まさか直前にアクシデントがあるとは思っていませんでした。
およそ一年以上前から準備を始めた結婚式ですが、直前までは自分達も驚くくらいにスムーズ。
式場は即決、妻のドレスに関しても数回にわたってゆっくり決めたものの、納得感のあるものを選べた。
当日の料理も場所も両親共に気に入ってもらえた。
自分達で作った招待状も、プロフィールムービーもオープニングムービーも少し時間がかかったものの完成。
ほぼすべての準備は数ヶ月前には済んでいて、あとは微調整のような打ち合わせを月に一回ほどで進めていく程度。
そして式の三日前(2016年4月14日)、不穏なトラブルが発生します。
この頃は福岡に住んでいて仕事をしており、(ベンチャー企業だったので)残業をしていました。
そろそろ帰ろうかという21時30分頃、福岡でもパソコンが倒れるほどの地震が起こりました。
直後、震源地は熊本であることが判明。実家のある地域は震度7弱。
「まさか」
血の気の引いた指で、すぐさま兄妹も通じて家族と連絡を取るよう試みました。
電話回線の問題からかしばらくは電話がつながりませんでしたが、LINEを通じて家も両親も無事であり、棚などが倒れることはありましたが重篤な被害はなかったことが確認できました。
また、結婚式自体は県外で行うため式場に問題はありませんでした。
その時は一時胸を撫で下ろしましたが、これで終わりではありませんでした。
前日のキャンセル料
結婚式の3日前に熊本の実家の方面で震度7弱の地震。
「まだ3日前でよかった。これだけで終わってくれれば。」
どこか楽観的にそう思っていたところもあります。
一時はひやりとしたが、そこから丸一日、余震はあったものの大きな揺れはなく。
「これ以上は起こらないでほしい。」そう祈って止みませんでしたが、それだけではありませんでした。
いよいよ直前に迫った4月16日の深夜、熊本での本震。
私たちが住んでいる福岡の中心部まで大きな揺れがありました。
その時には家族間で連絡が取れるグループを作っていたので、すぐに連絡を取り無事を確認。
玄関の柱が一部折れてしまったものの、家そのものが倒壊する恐れもないとのこと。
しかし、その後も余震は続き、朝を迎える頃には両親共々憔悴しきっていました。
「明日は結婚式はできないかもしれない。」
父からもそう持ちかけられ、それは致し方ないと思い朝一番に式場に連絡し、状況の説明と日取りを変更できるかどうかを相談。
今は結婚式に向けてこういったやむを得ない事情の場合に備える「保険」もあるそうですが、まさか前日にこんな事態に陥るとは予想もしていませんでしたし、存在も知りませんでした。
その結果は。
キャンセル料:約210万円
災害は仕方のないこと。だが……
日取りを変更するにしても一旦取りやめにしてまた考えるにしても、すでに準備は完了しており、削減できるものを省いたとしてもそれくらいの金額はかかってしまうとのこと。
もちろん、担当の方も「できる限りのことを行ったうえで」と申し訳ない様子ではありましたが、これには相当ショックでした。
災害によるものなので致し方ないとはいえ、自分達の過失でもないものに210万円。
しかし、実際に被害に遭っている両親を説得して結婚式を実行しよう、とは言えません。
また、両親も出席できないのに結婚式を行うこともできない。
むしろ、そんなことより本来はすぐにでも実家に戻って何か手伝うべきだ。
だが危険もあるし、すぐに戻ったとしてもできることは限られる。
どうするのが正解かわからないまま、その場でキャンセルはせずに、まずはキャンセル料と事の顛末を両親へ連絡しました。
両親も残念そうにしてくれてはいましたが、それ以上にはこちらからも言及できず。
電話を切った後、複雑な心境のまま妻と二人、しばらく沈黙していました。
そして、妻がぽつり。
「もう、結婚式できないよね。」
そうつぶやきました。
既に一度総額を支払済。キャンセル料に210万円。一括で返金しないといけないならまず返済は無理。
仮にカード会社に相談して、リボ払いや分割に切り替えられたとしても、単純に考えて210万円の借金。
しかも「自分達の過失は全くない」のに。
私もそういう考えがめぐっていました。
ましてや、一年以上前から準備していた結婚式。
また妻の実家も被災地の熊本からほど近い場所にあるので、今後も心配が残る。
何とかいい方法はないかと考えてはいましたが、こちらからは動けずにいました。
そして、少ししてから妻は号泣。
私も「自分達は悪くない、自然のことだから仕方のないことだ」と思いながらも、悔しい気持ちが渦を巻くように心にもやがかかっていました。